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ルネサンスの身体的快楽




カッチーニの「新しい音楽」の序文を改めて読み直し
6月27日のコンサートへ向けて練習をしているのですが

この時代のものを歌うための
様々なテクニックについての記述として
1602、13年に書かれたものがあります。

ルネサンスやバロック音楽を聴いていると
独特で綺麗。流麗。
美はここにあり。みたいな。

それは感じるけれども

なぜ? 
こんな複雑な技術で音を奏でていたのだろう?
という疑問がむくむくと湧いていました。

それがイタリアじゃーい!
と言ってしまえば楽なんだけど。
(今の話題はルネサンスのイタリア音楽についてです)


「装飾」という言葉一つとっても

ドレスで言えばレースとか、ひだ飾りとか、宝石とか。
建築で言えば、流麗な曲線とか、壮大な様式美とか。
美術で言えば…

美は様々な形を見せてくれるけれど

音楽は、ちょっと違う気がしていました。


リハーサルに入り、
共演者の方とお話を重ね、音を重ねてゆくうちに

あ!

と思う瞬間が。


カッチーニはこれまでにも歌ったことはあるけれど
今回の様に
「はじける、うっとりな身体感」

バチバチっと火花が散る様に感じたのは初めてで


ああ、これがルネサンス期の人間を
音楽に夢中にさせた理由か!!

と感じました。



ズバリ
特にカッチーニは
「身体的快楽を極限まで追求したら、こうなりました」的音楽。

あくまでも私の言葉で言えば。


何かの行動をしているときに
快楽ホルモンが出るというのは
人それぞれ状況が違うと思います。

それがスポーツだったり、
絵を描く事だったり、
何かを自分の体で創り出すことに於いて
感じる方は多いのではないでしょうか。


歌は楽器と違い、
音楽との間にワンクッションありません。

身体が楽器なので、ダイレクトに「声」という
外向きの解放を伴います。

スポーツも絵画も、肉体の一部である「声」を持続して出しません。

なので、ある意味独特の身体感覚かもしれません。


ただ、これは
「好きな様に歌う」
「自分が気持ち良い様に歌う」
だけでは、手に入れる事はできません。

まずは
自分の表現したい事を可能にする
身体的なテクニック。
様々な角度から「音楽、歌詞」を感じる
感受性(創造力)、客観的な分析力。

を、手に入れる努力をする事。


そして
体調や、メンタルや、ホールの環境や
全ての面が上手く噛み合うと天国。

神様、有り難う…
って涙が出るくらい本気で思う。
(私は宗教は持っていないので、この言い方が適切かわからないけれど)


しかし
大きく何かが外れたら地獄。


それは不可抗力的に
自分のコントロール下に置けないこともあるので
全てが合致する奇跡を願うのみ。


特別なほんの少しの奇跡をキャッチするために
そしてそれをお客様に還元するために。

私ができる事は
心身共に勉強をし
練習するのみ。
(怠け者の私はエンジンかかるまで、いつも大変でございます。)


人間の出来る事、
最後はここね…



皆様に
私という媒体(神様から頂いた声)を通して
何かを
手渡すことができます様に、と切に思います。

少しずつですが、前進してゆくつもりです。


今年は6月27日と8月2日しか
一般公開のコンサートは無いのですが
「何か」をお楽しみいただければ幸いです!









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